※血の表現を多く含みます。
いのちのうた。 5.崩壊
どくどくと肩が脈うっているのがわかる。拍動に合わせて痛みが走っている。
でもそれにも気付けないぐらい頭の中は真っ白だ。目の前の老人が震える手で、
まるで素人の構えだ、ルビーの左肩に、高級な銀細工のあしらわれた細身のナイフを
突き刺していた。ぽつぽつと水がとめどなく降ってきてルビーの服にも老人の服にも
ぽつぽつと濃い染みを残していく。
雨でもないのに。
「せめて。あなた様を育てあげた私のこの手であなた様を…あのような下賤の
者に殺されるくらいならば!他の誰かに殺されるくらいならば!
私が貴方様を殺しましょう!逃げても無駄です、国中が敵なのです!
私とて同じです!ですから安心してください、このじい貴方様が逝ってしまった
ならばすぐさまあとをおいましょう、地獄のそこまでお供しますルビー様!!」
老人は目を見開き半狂乱に早口に告げナイフに力をこめていく。
この老人は知っていたのだ、水面下に広がるこの圧倒的な力「教え」を知っていたのだ、
でもそれはあまりにも強大すぎて太刀打ちできなくて果ては王に告げれば
命はないと脅迫され毎日監視され追い詰められていったのだ。
それならいっそ、狂ってしまえばいい。人は弱いから。
ナイフがまた少し沈んだ。どろどろ。血が溢れた。
身体がよく動かない痛みとかそういうものではなくてわけのわからない
ぐにゃぐにゃした感覚が腹の辺りで暴れている悲しみか憎しみかない混ぜに
なってぐちゃぐちゃに塗り潰されそうだ僕は死ぬのかここで父の無念も何もかも
晴らせずに裏切られて死んでいくのか、燃えるように熱くなっていくのが傷口なのか
頭の中なのかも区別がつかなくてわけがわからなくなって。
獣の本能。生命の保持。生への執着。根底のそれのみに意識が集中するんだ嫌でも、
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
死にたく な い
死にた
く
な
い
爆発が起きた。頭の中で。ぶつんと嫌な音で。
勝手に動いていく身体は本能は、即次の行動に移っていた。
ナイフを『じい』の骨ばった手ごと掴むと乱暴に自分の肩から引き抜いて奪い取る。
相手は素人しかも老人、こっちは幼くとも武王と謳われた父からその武術を正当に
継承している少年、圧倒的な差に背が震えた。これは、歓喜、か?
はっと身を引こうとする『じい』の襟首を掴んでその勢いのまま地面に
仰向けにたたきつける。ぐ、とくぐもった声をあげた『じい』を、
冷静に見下ろしている自分が居た。
ルビーの右手で銀色が閃いた。
ブシュ ッ
手が赤くなってぬるぬるしている。手だけじゃない、
着ている衣服も全部真っ赤に染まってべったりと濡れている。
ルビーが正気に返ったのは、全て終わった後だった。
「・・・僕は・・・何を」
後ろによろける。ナイフが手からすべり草の上に落ちたが気付かなかった。
吐気が腹の底からこみ上げてくるのに、目の前のそれから目が離せない。
手で口元をおさえようとしたけれど、無理だった。その場で吐いた。
首から胸の下まで切り裂かれた老人は、仰向けに目を見開いた
まま倒れている。その目はルビーを捉えていて手足はすがるようにこちらに
延ばされたままになっていた。
吐しゃ物と足元の血が、混ざりあってどろどろのマーブル模様を作る。
裂傷から覗く肉の色があまりにも鮮明に目に突き刺さる。赤い赤い赤い。
生きていた証に生暖かい血液は手足と服にまとわりついて下へ下へと
ルビーを引きずろうとしていた。幾本もの手に縋られているように。
重い。
とても、重い。
絶叫した。
夢中でその場から逃げ出していた。何処に行こうとかそんなことはどうでもよく
てただあの場から逃げたかった。身体に染み込ませていた武術の身のこなしは決
して人を傷付けるじゃなくて人を守るため父から継いだもので、しかし極限状態
の自分がそんなことを冷静に考えられるわけもない。違うそれは言い訳だ。身を
守るために敵を潰すなんて、なんて獣じみているんだ。僕はもう人間じゃなくて
本当に化け物なんじゃないか、とルビーはあまりまわらない頭で考えた。
自分の中で目覚めてしまった獣はあまりにも獰猛で制御がきかなくて、また何が
きっかけで暴れだすかもわからない。何故なら胸の奥がざわざわと騒ぎまくって
落ち着いてくれないからだ。早く早くこの首都を出なければ、また誰か殺してしまう前に!!
怖い。助けて。誰か。
父さん。
あの後も、首都を抜け出すまでにいくつ信じていくつ裏切られた?
今度こそ、と、何度期待してしまったのだろう。
命を狙われて、眠る暇も無いまま、ぼろぼろになりながら逃げ続けて。
・・・また、何人も、殺して・・・。それから、
森深くに棄てられた小屋に住み始めて・・・何年経ったろうか。
信じない。誰も信じちゃいけない。裏切られてまた苦しまないように、
そうだ、・・・周りの誰かを傷付けてしまわないように、僕は独りで生きていく。
孤独は、一生の罰だ。そう、そのはずだったのに。
なのに・・・なぜ、『彼女』を・・・。
「・・・面白かったかい、僕の過去・・・」
「っ!?」
見ていた過去の外側から突然聞こえた声に、瞬間的に現実に焦点が合う。
写真立てと手紙が手からすべり音をたてて床に落ちた。夜の無音に写真立てと
床がぶつかる単調な音がにぶく響く。心臓がばくばくと飛び跳ねて
握りっぱなしだった左手には汗がにじんだ。ゆっくり振り返れば、
たった数歩先の距離に、紅がいた。紅・・・違う、彼の本当の名前は、
ルビー。
「ル・・・、くれな、い」
「帰ってきてから様子が変だと思ったよ。
力、戻ってたんだな」
足が震える。目の前のこの人が今とても怖い。
自分では想像できようも無い暗い過去。少年の目にちらついていた
獰猛な獣の眼光。それが今ここに再現されているから?
今まで見たことも無い冷たい目と聞いたことも無い絶対零度の
声音に、背筋が凍るような感覚に襲われた。
踏み入ってはいけない領域に、土足で上がりこんでしまったんだ、
とサファイアは思った。自分の不安を拭い去りたいがためになんてことを。
「僕の過去、その力で見たんだな」
「、ぁ」
「見たんだな!!?」
「っ・・・」
見開かれた藍色の瞳を、紅は冷静に眺めていた。
その目に含まれているのは恐れ?差別?僕の中のバケモノをみて
おびえているの?ほら、そうやってみんなまた僕から離れていくんだよ。
裏切っていくんだよ。
腕を掴んで乱暴にサファイアを壁に押さえつけた。
「つっ・・・」
「夜長の暇つぶしにでもなった?血みどろの僕、
お気に召したかい?」
「ちがっ・・・そんなつもりで、」
「見たんじゃないって?じゃあ何で見た?
力を使って。盗み見て。・・・君の好奇心を満足させるような
軽い過去じゃないんだよ、生憎ね」
口答えする暇は与えない。懐かしい感覚が胃の下のほうからせり上がってくる。
長い間眠ったままだった獣がまた顔を出す。裏切り者を殺せ殺せ殺せ!
そうやって叫んでる。全く制御が利かなくなる。
手に力を込めていくと、掴んだ腕は細くて華奢で、簡単に折れてしまいそうだ。
骨を砕いたら君はどんな顔をするんだろうね。駆け抜ける恍惚。
その、苛立つくらいにきれいな藍色で、どんなふうに啼いてくれるんだ?
「・・・っ」
彼女はそれでも目をそらさない。なぜ?目を背ければいい、
こんな恐ろしい獣なんて、見続ける価値なんて無いだろう?
藍色を見返した。すると、一瞬、視界がかすんだ。
涙が流れるのを必死でこらえているサファイアの顔に、何かが
重なって見えてくる。あとになって考えると、それは
多分自分自身への警告だったと思う。きっとそうだ。
『ありがとう』
名前をあげたあの日の、彼女の笑顔と藍色がフラッシュバックしたんだ。
「・・・!!!」
紅は掴んでいた腕を放して、サファイアを自分から遠ざけるように
突き飛ばした。突然のことにサファイアは受身も取れず、床に倒れこむ。
紅は間髪いれずに叫んでいた。サファイアに背を向けて。
『サファイア』その存在自体を決して視界に入れないようにして。
「・・・っ出ていってくれ」
「紅、あたしっ」
「出ていってくれ!!・・・・・・頼むから・・・」
懇願するような、消え入りそうな声が、つぶれてしまったみたいな喉から
こぼれていく。頼むから早く出ていってくれ、じゃないと僕はまた
人を殺してしまう。君を殺してしまう!
その藍色を、この世から消し去ってしまう。
それだけは絶対に駄目だ。理由もわからないまま、その命令を
絶対として、獣を無理やり押さえつけていた。
キィ、と音がして、戸が開く音がする。外の風が入り込んで
紅とサファイアの間を撫でるように過ぎた。その風は、サファイアの
消え入りそうな言葉を、紅の耳に確かに届けていった。
「・・・ごめんなさい・・・」
パタン、と閉まる音。風も途切れた。
痛いくらいの静寂を置いてけぼりにして。
信じない。誰も信じちゃいけない。裏切られてまた苦しまないように、
そうだ、・・・周りの誰かを傷付けてしまわないように、僕は独りで生きていく。
孤独は、一生の罰だ。そう、そのはずだったのに。
なのに・・・なぜ、『彼女』を・・・。
信じてしまったんだろう。
また、それも罰なのか。答えには、まだたどり着けない。
