『ルビー』と呼ぶ資格なんて、あたしにはない。
いのちのうた。 6.再開
何処に行こうとか、そんなことを考えるような隙間は今のサファイアの
頭の中に存在しなかった。存在したからといって何かあてがあるわけでも
なかったが、ただ、淡々と歩いて、深い森の中へともぐっていく。
裸足のまま出てきたせいで草の葉や小石で足が切れたが、そんな痛みは
どうでもよかった。拳が、白くなるくらいに握り締められる。
過去を勝手にほじくって、紅の傷を抉った上に更に広げてしまった。
自分を突き飛ばす瞬間かすかに見えた彼の表情は、本当に、泣き出しそうな
少年の顔で、
(・・・・・・あたし・・・あいつのことば、裏切ってしまったとね)
心臓を鷲掴みにされてるようだった。正直、あのまま殺されてしまうとも
思ったけれど、紅は、自分を殺さず出て行けと言ったのだ。
『もう、僕に、人殺しをさせないでくれ』
言外にそう告げられた気がした。あの過去から紅はずっと苦しんでいたのだ。
きっと紅は自分を拾ったこと自体、最初から想定外の、事件でしかなかったんだ、
だから最初から信じても無かった。きっとそうだ。
サファイアはそう思い込もうとしていた。でも。
(あの日の言葉・・・嘘だったって、思いたくないけん・・・)
まだ縋ってる。紅が、家族以外で、『力』を持つ自分を受け入れてくれた
二人目の人、まだそう信じてる、信じたい。自分から、裏切っておきながら。
『力』の、こんな汚い使い方をしながら。
なんて勝手な、我侭な願いなんだろう。
「あたし・・・あの時、死んでたほうが、よかったかもしれん」
疫病神。そんな言葉が頭をかすめて焼きつく。両親。クォーツ。
力を使って盗み見た罪も無い人たち。みんな。そして、紅。
関わる人全てを巻き込んで不幸に引きずり落としてるのは、紛れもなく
自分。
・・・なんで生きてるんだろう。あたしはどうしてみんなと一緒に死ななかったのか。
あたしは要らない子供だ。
「死んだほうがいいなんて、言わないでよ」
唐突に、背後に声が響いた。驚いて振り向くとくすんだ白い色のコートを
来ている人物が居た。顔はフードで、そして闇も手伝って見えない。
「なんとなく予感がしてたんだけど・・・来てよかった」
「あんた、誰ね」
「誰、か。君はもう忘れてしまったかな」
声は少年のもの。柔らかい声音が静まりきった夜の森に染み込むように
消えていく。どこか聞き覚えのある声は、ひどく心をざわつかせた。
「君が君自身を必要としなくても、僕は君を必要とするよ。
・・・だから、お願いだ、死んだほうがいいなんて、思わないで」
「ひつ、よう?」
「・・・君は、要らない子供なんかじゃないよ」
心臓が騒ぐ。囁くように吐き出された言葉に甘い痺れが広がる。
その声は、かつて、あの白い水槽の中で、自分に名前をくれた人と酷似している。
心を読んだかのようなその言葉は、「つらいことがあったんだね」と察してくれた
あの状況にとても似ている。知らず涙が溢れた。
「ま、さか」
「そのまさかだよ。・・・久しぶり、『コランダム』」
目の前の少年は、深く被っていたフードをゆっくりとした動作で
おろした。闇夜にも溶けず浮かび上がる白く長い髪。
クォーツ、だった。
「クォーツ・・・!!」
「コランダム・・・良かった、会えて良かった」
「死んだと思っとった・・・組織の奴が、死んだような言い方ば
するけん、あたしずっと・・・辛くて」
「わかるよ。大丈夫。僕は君の味方だよ、何があってもね」
俯くと、クォーツが優しく抱きしめて、背中を撫でてくれた。
何もかも任せてしまいたくなる安心感、懐かしい感覚にサファイア・・・
『コランダム』は目を閉じた。
けれど、そのまぶたの闇の中に揺れる紅色を見つけて、心がジク、と
痛んだ。目が覚めるようにはっとして、クォーツから離れる。
不思議そうに首を傾げたクォーツは、また何か察したように表情を
改めた。クォーツはなんでもわかってしまうんだ。
「あたし、この『力』で・・・ひどく、傷つけてしまった人が、おるけん、
・・・元に、もどせるわけなかと、それはわかっとる、でも、
そん人に、あたし、助けてもらっとうに、そんなことして、
・・・どうすればいいと?どうしたら・・・あん人のこと・・・
助けられると・・・?」
常に急いて生きてきた紅。周りのもの全てを疑い続けてたった独り
今まで歩んできた紅。そこに土足で上がりこんで傷をえぐり、
小さな私欲でつらい想いをさせてしまった自分。償えるなんて
思わないし思えない。信じられなくたっていい。自分には少しずつ
支えてくれる存在もあったけれど彼には何一つ無かった。
それでも彼を助けたい。死にたいとか、思っている場合じゃなくて、
その果てにもし彼があたしを殺したいなら、殺されてしまっても・・・
いい。助けたい。救いたい。自分を削って生きてきた彼の居場所を、
作ることができたら。
それさえも、自分だけの我侭に過ぎないのだけど。
「・・・コランダムは、その人のことが大切なんだね」
「大切・・・?わからん。でも」
「でも?」
「ウソでも、傍にいるって、言ってくれた人やけん・・・
馬鹿なんはわかっとるけど、あたし・・・それを、信じてたい」
このとき俯いていたから、クォーツが微かに顔をしかめたのを、
コランダムが見ることは無かった。
「他にも?その人に恩があるみたいだね?」
「・・・うん」
「それは何?」
「・・・あんね、あたし、あんたがいなくなったこととか・・・
組織のことば思い出すから、コランダムを名乗るのが、
辛かったとよ」
「・・・うん」
「そしたら・・・あたしに、名前くれたったい、ル・・・紅。
あんたと、同じように。サファイア、って」
そう呟くコランダムの顔には安堵が広がって、それは『コランダム』では
なく『サファイア』の顔つきで、それを見たクォーツの瞳に、何か光が
煌めいたように見えた。サファイアは、それを見上げながら首を少し
かしげた。
「クォーツ?」
「・・・ううん。なんでもないよ。今日は遅いから、僕の家においで。
疲れてるだろう?足も傷付いてる・・・眠っていいよ。運んでいくからね」
「く、クォーツにそんなことさせられん!あたし、自分で歩けるとよ!!」
「大丈夫だよ。ほら、・・・お休み」
クォーツが懐から取り出したハンカチをサファイアの口元にあてがうと、
サファイアは急に強い眠気に襲われた。重いまぶたに逆らえず、目を閉じる。
力を失ったサファイアの身体をとっさに支えて、す、と横抱きにした。
安らかに、静かに寝息をたてて眠る彼女の寝顔は、昔と変わらず純粋だった。
それを見て微笑んでから、クォーツはふとサファイアが着ている服を眺めた。
簡単な作りだが、ほつれないようにしっかり縫われている。
布がまだくたびれていないから、おそらく『紅』とやらが作った服なんだろう。
この国特有の、必ず肩にかけるショールは、彼女の瞳の色と同じ藍色。
クォーツはサファイアが歩いてきた方向を見据えて呟いた。
「気に、くわないな・・・」
そして、その反対方向の闇に、出ておいで、と声をかけた。
