目の前の女の子は、目を細めて笑いながら、
その腕をのばして僕の髪に触れたんだ。
「きれい」
こんなに綺麗な白色を見るのは初めてだよ。
そう言う彼女にどれだけ救われたろうか。
けど、それでも、ごめん、もう後戻りはもうできないんだ。
――そうやって後悔していたのは、もう遠い過去のこと。
「彼女をうちに連れて行って。くれぐれも丁寧にね」
出ておいで、と呼びかけた先から姿を現した黒い影たちに、
クォーツは微笑みかけた。
いのちのうた。 7.暮れない、終わらない。
朝が来た。たった一人で迎える朝が、やけに久しい気がして
可笑しい。さらに可笑しいのは、朝目が覚めたとき彼女の姿を
探した自分がいることだ。全くもって馬鹿らしい!
経過はどうあれ、結果的に出て行けと宣告したのは紛れもなく
自分で、傷も完治に近い状態だったから熱をもつこともないだろうし、
・・・望んだ形に戻った。独り生きる「当たり前」に戻ることができたのだ。
喜ばしい。もう他人と関わることを考えなくてすむ。裏切られることも、裏切ることも
殺すことも全て取り払われた、安心して生きることができたあの頃に戻れる。
それなのに何故。
(胸が、ざわつく)
朝起きて、「おはよう」がない。
自分以外のひとの体温がない。
自分以外の音もない。
四角く区切られた家という箱の中に、僕以外の影がない。
なくなったものを見つけるたびに、言いようもない気持ち悪さが
胸の奥からこみ上げてくる。そんな自分に吐き気がする。
(未練?そんなもの捨て去ったはずだろう。何故?どうして?
一時身を置いただけのただの他人に執着する理由が何処にある?
そもそも彼女は、力とやらを使って勝手に人の過去を盗み見て、
恩を仇で返すような人だったじゃないか。僕が思い出したくもなかった
あの過去に土足で上がりこんで踏み荒らしたじゃないか。
それなのに何故僕の頭から彼女は消えないんだ。いつまでも考えているんだ)
藍色藍色藍色。熱く燃えて全て見透かすようなきらめきを宿した藍色。
何処を見ても何を見ても眼前にちらついて離れない。
最後の最後、消え入るような声で「ごめんなさい」と言ったとき
その藍色はどんな風に歪んでいたんだろうか。それを思い出すと
肺を切り刻まれるような感覚に襲われるのはどうして!他人だろ?
そんなこと考えなくったっていいだろ!くそ、なんで!!
(どうして・・・っなんで、消えてくれないんだよ)
もうこれ以上僕から孤独を取り上げないでくれ!!
拳を叩きつけられた木製のテーブルがきし、とわずかに音をたてる。
軋み、その音は、うなされて眠る彼女を思い起こさせた。
うなされながら何度も寝返りを繰り返し、その度軋んだ木製のベッド。
悲鳴を上げるように、とはよく言うけれど。まさしくその通りで、
その軋みは悪夢に囚われた彼女の悲鳴だった。
普段は変わらないようにしていて、けれどもその裏で彼女は
ひどく孤独におびえていたのだ。
「・・・なんて、矛盾だろうね」
自分はどこまでも孤独を求め、彼女はどこまでも孤独を恐れ。
こんなにもクリアに真逆な矢印もそうない気がする。
「・・・もしかして、君は・・・」
古い写真の後ろ、過去の自分が未来の自分への戒めに残した
手紙。彼女はきっとそれを読んだんだろう。だから僕が
自分のことを信じてないのかと、不安になって、僕の過去を
見たのではないだろうか。僕は孤独を知っていた、否、知りすぎていた、
だからこそ感覚が麻痺して、彼女がどれだけ孤独を恐れているのかを
理解した『つもり』でいただけなんじゃないのか。
「そんなつもりで」と、彼女は言いかけていなかったか?それを
僕は聴きもせず、頭ごなしに怒りに任せて怒鳴りつけて、
彼女を追い出した?まだ、完治に近いとはいえ傷の癒えてない
彼女を、この広い迷路のような森に放り出した?
沸騰するように熱くなっていた頭が急激に冷えて、落ち着いていくのが
わかった。そうだ、僕はまたやってしまったのだ。
(僕が彼女を裏切ってしまったんだ)
身の内の激情を制御できず、結局また傷つけてしまった。
独りになって以来初めて傍にいた人を。
このクレナイの瞳を拒絶せず笑いかけてくれていた人を。
どうしようもなく惹かれる藍色の瞳を持つ彼女を。
本当は、心のどこかで気付いていたかもしれない。
これからも一緒にいることができたら。そう願っていたことを。
「そうか、だから・・・僕は君を信じようと思ったんだね」
そうしてそう思ったからこそ、過去と決別するためにこの手紙を
出して、けじめをつけようとしていたんだ。
それが崩壊のきっかけになってしまったけれど。
(サファイア・・・)
彼女に会おう。謝るとかそんな問題ではないと思う、だから会おう、
彼女に会えば僕がこれから何をするべきかわかる気がする。
そんな漠然としたけれど確かな予感を抱いて、紅は森に向かう。
その先で、自分が今以上に悔いることになることも知らずに。
呼ぶ声がする。それは幼い少女のように聞こえた。
目を開けて周囲を見渡しても誰も居なかったが、確かに小さな
女の子の声が自分を呼んでいた。藍色にかすんだ世界で、
声は響きもせず直接頭に届くようだ。まるですぐ隣にいるかのような
奇妙な感覚が耳の辺りを支配している。
「あんた、誰とね!」
空間に向かって問いかけてみる。するとゆるりと空間が
揺らいで、10歩程先に女の子のシルエットがうかんだ。
上から下まで真っ黒く塗りつぶされて影のように見える
少女は、小さな口を開いて呟きはじめる。
「わたしは、ずっとここであなたをまってたの。
だって、わたしは――」
「・・・っ!?」
がば、と跳ね起きた。息が苦しい。握り締めた拳は汗で
少しぬるぬるする。深呼吸して、激しい動悸を落ち着けた。
「・・・ゆめ・・・?」
感覚だけはやけにリアルだったような、と考えながら周りを
見回す。三方を真っ白な壁に囲まれ、残る一方は分厚いガラス。
その向こうには薄暗い部屋が広がって――。
「!!!ここっ・・・っ!!!?」
無意識に肩がはねた。そう、ここは組織にいた時期、自分が
閉じ込められていた、あの部屋だ――。無意識に肩を抱く。
だんだんと自分が震えてきたのが嫌というほどわかる。
身体の奥に植え付けられた恐怖がふつふつと甦ってきた。
実験のような日々が鮮明に頭に浮かび上がり、吐きそうになるのを
必死に抑えると、代わりに喉を痛めるようなせきがこみ上げて
涙が出た。
(なんで、あたし、こんな場所におるの・・・っ!!?)
確か、昨日、紅の家を・・・出て、その後どうした?
歩いて歩いて森の奥に入っていって。
「・・・クォーツと、会った」
そうだ、クォーツと再会して、少し話して、それから。
急激な眠気に襲われて、寝てしまったのだっけ。
そこまでは思い出せた。問題は寝てしまってから、何がどうして
こんな地獄の場所に連れてこられてしまったのか。
(もしかして、クォーツば、組織のやつら、襲ったと!?)
だとすれば、まただ。自分はどれだけ周りの人を不幸にすれば
気が済むのだろう。ああ、どうすればいい。クォーツは今度こそ
殺されてしまったかもしれない。絶望というか、からっぽな気持ちが
胸に広がっていくのがわかる。
このとき初めて独りになりたい、と思った。
「コランダム、おはよう」
「!?」
ガラスの向こうから、突然声がかかった。振り向くと、
そこに立っていたのは今思考をめぐらせていたクォーツだった。
特別傷もなくニコニコと笑っていたのに心底安心して体の力が抜ける。
抜けた、筈だった。
しかし唐突に、生まれた安心を根底から覆すような嫌な予感が背を這い上がった
ためにそれは叶わなかった。クォーツ、と名を呼ぼうとした喉はひゅっ、と
音を出しただけで、呼ぶことができない。
クォーツの笑みが、べったりと張り付いて見えるのは、何故?
「どうしたの?顔が真っ青だ。具合が悪いなら早く言ってくれないと。
君は大事な鍵なんだからね」
「か、ぎ・・・?」
よくわからない。あたしが、『鍵』?クォーツは何を言ってるのだろう。
なんであんなに安心したはずの笑顔にこんなに恐怖を感じるの。
おそらく自分の中でいきついた答えを、コランダムは必死に否定していた。
まさか、嘘だ、これは夢だ。
「疑問を感じてる顔だね。勘のいい君ならもう気付いていると思うんだけどな。
まあいいか、教えてあげるよ」
(いやだいやだいやだ聞きたくないやめてやめてやめてやめて!!!!!)
「僕の名はクォーツ。初めて君と会ったときは一構成員だったけど・・・
今は、この組織の頂点に立ってるよ。そうだな、リーダーになったのは
時期で言うと、君への実験が始まる直前かな」
君の前から僕が消えた直後でもある。この意味、わかるよね。
コランダムの耳にはもう何も聞こえていなかった。否、聞こえてはいたけれど
すべて音として素通りして、頭にはこれっぽっちも残っていなかった。
「あの実験、命令したの僕なんだ。驚いたでしょう。
・・・ああ、やっぱり君にはそのドレスが似合うと思ったんだ、
あんな布キレを合わせただけのような服は着てちゃいけないよ」
くすくす、くすくすとクォーツが笑う声が嫌に響いて溶ける。
(・・・ルビー・・・)
コランダムではなく、『サファイア』が無意識のうち、心の中で彼の本名を呟いていた。

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